私にとっての”学び”

私にとって勉強とは色のないものであった。

白黒で、文字で、形のない、味気のない、ただの抽象概念であった。

しかし、学びというのはそのような、「」から生まれるものではない。

自分の感情が動く、情緒で感じる事によって、感動によって形成されていくものではないのか。

勉強とは、”頭”でするのではなく、”心”でするのである。

というのはそういうことではないか。

勉強をしてつまらないのは、そこに心がないからである。

頭でする勉強には、実りが少ない。

それは栄養にはなっていかず、花が咲かないのかもしれない。

自分を木に例えるなら、学びという栄養が、花となり、そこからの香りが誰かに届く。

これは、意識的でない影響である。

花から実になる。この実を、誰かが食べることで、誰かの栄養になる。

これは、意識的な影響である。

自分の中で、花を咲かすための、実をつけるための栄養としての学びを得ていくことが、

本当に大切な勉強なのではないだろうか。

23年12月5日『哲学のヒント』藤田正勝

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